海外渡航150回、20ケ国92都市(最下段参照)を訪問した。概ね時系列順に都市や風景を紹介する。
(The latest update: 2024年9月11日)
(The first upload: 2019年4月27日)
有限要素法(FEM:Finite Element Method)は、構造力学分野において始まった数値解析手法であり、Turnerらの論文(J.Aero.Sci.,Vol.23,1956)がよく知られている。有限要素法は、任意の構造体を三角形、四角形等の単純な要素の集合体として扱い多元マトリック演算に帰着させる手法であるが、物理学上の観点では変分原理に基づくものであるため構造体に限らず流体、波動、電磁界解析等の汎用性の高い数値解法であるといえる。工業的にはNASAが宇宙船の構造解析用として有限要素法を1964年から開発を主導推進して成果をあげてから広く知られるようになった。
1970年代半ばから1980年前半にかけて、筆者は有限要素法解析システムを開発しており、1984年に有限要素法解析を中心とする博士論文で博士号を取得した。またコンピュータに関連して1981年には特種情報処理技術者の資格を取得した(合格率8%、通産省(現経産省)認定の国家資格で合格証には当時の田中六助通産大臣とある)。
有限要素法解析とCAD/CAM(Computer Aided Design/ Computer Aided Manufacturing、コンピュータ支援設計/製造)とを含めたCAE(Computer Aided Engineering)は、開発を進めるうちに、コンピュータの高性能化に伴い一層ホットトピックとなっていった。また、コンピュータ情報処理分野はその後飛躍的な発展を遂げることになる。
筆者の著書から引用して周波数応答における基本方程式と簡単な場合として1979年頃に筆者が有限要素法を用いた計算した振動モードとを次に示す。
振動モード
下図は円板をメッシュに分割して有限要素法を用いて計算した固有振動の低次モード(低周波数)から高次モード(高周波数)を(1)~(8)に並べたものであり、太線(あるいは矢印)は振動モードの節を示している。また、各計算結果の下の円には節を破線で示している。
下図は四角形の板をメッシュに分割して有限要素法を用いて計算した固有振動の低次モード(低周波数)から高次モード(高周波数)を(1)~(10)に並べたものであり、太線(あるいは矢印)は振動モードの節を示している。また、各計算結果の下の四角形には節を破線で示している。
複雑な形状をしている構造物でも同様にメッシュ状に分割してその振動モードを計算することができる。
周波数応答
荷重が正弦波である場合には周波数応答解析の基本方程式は次式となるが、詳細は省略する。
ここで
有限要素法関連システム
有限要素法のプリ/ポストプロセッサとCADとの連携、コンピュータグラフィックス技術の進歩とともに、IBMなどのメインフレームに加えてミニコンピュータの普及が始まり選択肢が広がった。1977年当時、筆者が有限要素法解析システムの開発に使用していたコンピュータはIBMシステム370モデル148でCPU処理速度は1 MIPS (Million Instructions Per Second, 1秒間に100万命令を処理する速度)でこれはパソコンで用いられるIntel社のCore i7の約10万分の1である。またハードディスク装置はIBM3340でIBMは当時DASD(Direct Access Storage Device)と呼んでいた。下の写真に手前の5台がDASD(100MB/台)で中央奥に見えるのがCPU。右手奥に見えるのがエアコンで1部屋が占有されている。
コンピュータはレンタルでCPU使用時間1秒あたりの課金は数10円だったが、有限要素法の場合比較的簡単なものでもCPU処理時間は10分以上を要したのでCPU使用時間でなく定額制の課金だった。
筆者は開発中の有限要素法解析システムに関連する技術(CAD/CAM含む)及び低運用コストのハードウエアを調査する目的で1979年10月から11月にかけて渡米した。経路は成田~アンカレジ~シカゴ~デトロイト~ニューヨーク~ボストン~ロチェスター~オレンジカウンティ~サンフランシスコ~ハワイ~成田。日本への帰国便は航空会社の手違いでダブルブッキングだったため無料でファーストクラスへアップグレードされ、機内ではワゴンサービスで上質ステーキ食べ放題、ワイン飲み放題だった。
アンカレジ
最近では飛行機の航続距離が伸びたのでアンカレジ経由はほとんどなくなったが、当時の北米便はアンカレジ経由便があった。往路はノースウエスト(現在のデルタ)航空だった。下の写真はアンカレジ空港内で撮影。
デトロイト
デトロイトに入り、CAD/CAMショウ、フォード博物館、キャデラック工場を見学した。CAD/CAMショウ会場はCOBOホール。下図は当時の地図でCOBOホール東側にルネッサンスセンター(1977年オープン)、西側にGMキャデラック工場がある。CAD/CAMショウでは、キーノートスピーチ(GMかフォードのCEOだったと記憶している)の中でGNP(当時はGDPでなくGNP)が日本5%、米国2.2%と述べてmiserably 2.2%と表現していたことが当時の日米の勢いを象徴する言葉として印象に残っている。
下の写真はキャデラック工場。手前の赤い車は我々が乗ってきたレンターカー。キャデラック工場内部工程を見学することができた。
ヘンリーフォード博物館は、GMキャデラック工場の更に西側にある。下の写真はヘンリーフォード博物館(筆者撮影)。
広い建物の中に数多くの車が展示してあり必見。
SLのビッグボーイ。
デトロイトからカナダへ
デトロイトから車で簡単にカナダ側に行くことができた。夜景がきれいで、下の写真は、夜に筆者がカナダ側からデトロイトを撮影したもの。
ニューヨーク
ニューヨークでは、ウォルドルフアストリアホテル(2014年まで歴代米大統領がニューヨークを訪問したときの定宿)で開催していたAES(Audio Engineering Society)の発表会に参加した。このときのAESと併設の展示会では、PCM(Pulse Code Modulation)プロセッサが多数展示されオーディオのディジタル化が始まろうとしていた。ウォルドルフアストリアホテルは、2014年に中国企業によって買収された。下の写真は1979年11月に筆者撮影。
下の写真はニューヨークに1973年に建設されたワールドトレードセンター(WTC)の展望デッキからマンハッタン北部を見た時の眺望で、1979年11月朝に筆者が撮影した。中央遠方にエンパイアステートビルが見える。また、朝方だったので東側(写真の右側)から日差しが差し込んでいることがわかる。
次の写真は筆者が1979年11月に撮影したWTCの写真。
次の写真はメトロポリタン博物館入口(1979年11月)。中央は筆者。
オレンジカウンティ
CAD/CAMの源流
CAD/CAMは、メインフレーム上のシステム、ターンキーシステム含め宇宙航空機産業、自動車産業で数多く使用され、FEMシミュレーションを含むCAEの一部としてコンピュータの普及の原動力となったが、その源流を1960~1970年代のシリコンバレーやオレンジカウンティに代表される米西海岸のベンチャー企業に見ることができる。
CAD/CAMの父と言われるPatrck J.Hanrattyが1971年に創業したMCS(Manufacturing and Consulting Services)社は、カリフォルニア州のオレンジカウンティ(オレンジ郡)にあった。シリコンバレーはサンフランシスコ近傍であるのに対してオレンジ郡一帯は南のロスアンジェルス近郊に位置する。筆者は当時開発中だった有限要素法(FEM:Finite Element Method)解析システムの関連で1979年11月にMCS社を訪問した。下の写真はそのときに撮影したMCS社の建物外観で、Hanrattyと会ったとき、彼は近々もっと大きなビルに移ると言っていた。当時の製品は、彼の考案したADAM(Automated Drafting and Machining)を核とするAD-2000(後にANVIL-4000)。
このような小さな会社がオレンジ郡一帯に500社あった。また、Hanratty以外にもグラフィカルユーザーインタフェースの起源といわれているSketchpadを発明したIvan Sutherland(Evans & Sutherlandを創業)もよく知られている。Evanse & Sutherland社のPicture System 2は1979年にデトロイトで開催されたCAD/CAMショウにおいて展示されていた(当時のレートで約4800万円、写真は省略)。
シリコンバレー
当初のCAD/CAMシステムでは、IBMメインフレームコンピュータで使用されるCADAMが多かったが、その後ComputervisionやCalmaのようなターンキーシステムがブームとなり大きな流れとなった。それらの内で、Calma CompanyはGDS(Graphic Design System)でよく知られており、そのオフィスは、1979年当時にシリコンバレーのサニーベールにあった。下の写真は1979年に訪問したときの写真である。
阿蘇山
この頃日本では、阿蘇山が噴火している(1979年9月)。次に示すのは、1979年11月下旬に熊本大学で開催された学会発表時に阿蘇山に立ち寄ったときに筆者が撮影した中岳第一火口から噴煙をあげている写真。11月下旬でも噴煙をあげていた(マウスホヴァーで当日筆者撮影の熊本城の写真)。
シアトル
3Dコンピュータグラフィックスの源流
現在、映画、CAD、ゲーム他あらゆる分野で必須技術となっている3Dコンピュータグラフィックスは、コンピュータの処理能力の向上とともに飛躍的に進歩したが当初は大がかりで非常に高価であった。次の写真は、1980年7月に米国シアトルで開催されたSIGGRAPHで展示及びデモされた3Dコンピュータグラフィックスアニメーションで、画面の中の地球は3Dモデルで自転しており注目された。このワークステーションは1台で3000万円以上した高価なものであるが、現在では3Dコンピュータグラフィックスアニメーションはパソコンで作成することができる。本ウェブサイトのトップページの自転する地球は筆者がパソコンで作成した3Dアニメーション(但し使用するパソコンのパフォーマンスが低いと動きがスローモーションになったりぎくしゃくすることがある)。
SIGGRAPH: Special Interest Group on Computer GRAPHicsの略称でACM(The Association for Computing Machinery)主催の世界最大級のコンピュータグラフィックス会議
サンディエゴからティファナへ
サンディエゴのコンピュータ関連会社に訪問したときに、サンディエゴのホテルからレンタカーでフリーウエイを南下して国境を越えてメキシコのティファナに行った(当時、国際運転免許証をもっていた)。下の写真は、南下中に筆者が車中から撮影した写真で、夕方であったため西側(写真の右側)から日差しが差し込んでいることがわかる。
この頃に使用したレンタカーの中で、アメリカ的車と考えて頼んだシボレーカマロは予想と異なりアクセルを踏んでも加速感があまりなく重たい車と感じた。また、レンタカー屋で”cheapest one"と頼んだらエアコンなしのトヨタカローラが提供されたが夏のカリフォルニア州を走ったのでとても暑かったと記憶している。
ロスアンジェルス
南カリフォルニア大学
1981年には、MSC社(MacNeal-Schwendler Corporation)のMSC-NASTRANやCosmic NASTRANに比べて低価格でコンパクトな有限要素法解析ソフトウエアの開発を試みていた南カリフォルニア大学(カリフォルニア州で最も古い大学)を訪問して、Weingarten教授と議論する機会をもった。下の写真は、当時あった”University of Southern California"の看板。尚、ほぼ同時期に同じカリフォルニア州のカリフォルニア大学バークレーやスタンフォード大学も訪問した。
次の写真は、南カリフォルニア大学のBovard Administration Buildingの写真(筆者撮影)。南カリフォルニア大学が設置された1880年から100年経過しているので”CENTINNEL YEAR”と書かれている。
知床観光船ライラック号
古い写真を整理していると北海道の知床観光船の写真が見つかった。ライラック号(Lilac)で1981年8月4日に乗船した。夏だったせいか波は静かだった。このライラック号は1994年に退役した。
大阪ビジネスパーク
1980年に大阪城の北東側に大阪ビジネスパークが起工された。下の写真は大阪城北東側から1982年2月に筆者が撮影したもので、まだ更地になっていることがわかる。
トロント
1989年5月にカナダ/トロントのロイヤルヨークホテル(1929年建造の英国王室御用達のホテル)のグランドボールルームで開催されたAES International Conference on Digital Audioに参加して講演発表を行った。当時はデジタルオーディオ全盛期であったため、参加者はグランドボールルーム満席(約500名以上)だった。そのときの発表の様子を下の写真に示す。左が筆者、右は議長。当時のプレゼンテーションは筆者の横にあるオーバーヘッドプロジェクタ(OHP)を用いていた。その後ノートPC(パソコン)が発売されるとビデオプロジェクタと組み合わせるプレゼンテーションが普及した。
ナイアガラ
その後、ナイアガラを訪問した。ナイアガラの滝は世界遺産ではないが、どの角度から撮影しても絵になる。その時の写真が下(右端で顔をのぞかせているのが筆者)。
ボストン
MIT1メディアラボ
1989年5月の発表の帰路にボストンのMITメディアラボに立ち寄った。メディアラボでは、Electronic Newspaper等の今日につながる技術の概念モデルに接することができた。下の写真はMITメディアラボ(当時)。
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デジタルビデオ圧縮符号化
アナログテレビからデジタルテレビへの転換期において1980年代の後半からデジタルビデオの圧縮符号化方式がISOやITUで検討されていた。規格にはインターレーススキャン(飛び越し捜査)方式とプログレッシブスキャン(順次走査)方式が含まれていた。
筆者はレート歪(Rate-Distortion)理論に基づいてプログレッシブスキャン方式とインターレーススキャン方式の圧縮符号化効率を計算評価した結果プログレッシブスキャン方式に優位性が認められるとの結果を得た。レート歪理論は定常ガウス性信号の場合一般的に次のパラメトリック表現によって定式化されるが計算の詳細は省略する。
ビバリーヒルズ
デジタルテレビ必須規格特許の出願登録やデジタルテレビ用LSIの開発とともに、1995年9月にビバリーヒルズで開催された国際会議に参加した。この頃から国際会議では参加者にとってノートPCが必須となった。次の写真は会場のビバリーヒルトンで散策中に撮影した。ビバリーヒルトンホテルはサンタモニカブールバードとウイルシャイアブールバードの交差点にあり、すぐ近くにロデオドライブがある。
ベルリン
同様の調査研究において、1995年12月ベルリンで開催された国際会議に参加した。会場はBerliner Congress Center(BCC)でその当時に撮影した写真を下に示す。このBCCの建物はその後リフォームされて中国大使館となった。
次の写真はその時に筆者が撮影したアンハルター駅舎(Anhalter Bahnhof)跡。アンハルター駅は1841年に開業したベルリンアンハルト鉄道の駅で、第2次世界大戦によって大半が破壊された後廃止された。
1990年代から2000年にかけて筆者はデジタルテレビの開発に携わることになった。高画質デジタル放送用LSIを開発した後、国内外でいくつかのデジタル放送実験に参画した。それらの中で次の写真は1998年にフィラデルフィアで行った衛星デジタル放送の送受信トライアルのテストサイト。衛星送信用の大きなパラボラアンテナが見える。
ラスベガス
1990年代半ば以降にはデジタルテレビ関連技術が展示会で多く出品されるようになった。筆者は開発技術をCES(世界最大級のITや家電の見本市)、NABショウ(National Association of Broadcastersが主催する世界最大の放送機器展)、WinHEC(マイクロソフト社が主催するコンファレンスでWindows Hardware Engineering Conferenceの略)等で展示するとともに説明員として参加した。CESとNABショウはラスベガスで開催された。2003年まではCOMDEX(Computer Dealer's Exhibition)も開催されており展示説明員として参加したことがある。ラスベガスはカジノの町として知られ1960年代にはエルビスプレスリーのラスベガス万才という映画の舞台となったこともある。同時に多くのコンベンションが開催されることでも知られている(いわゆるIntegrated Resortの典型例)。よって何度も訪問したことがある。一例としてあげると、下の写真は1999年にNAB主催の放送機器展が開催されたときに撮影したラスベガスコンベンションセンター(Las Vegas Convention Center)。
1997年にラスベガスから10人乗り程度の小型飛行機でグランドキャニオンに行った(筆者撮影)。こちらはナイアガラの滝と異なり1979年に世界自然遺産として登録されている。ガイドの女性が、”アメリカはずるい国、シェールオイルが埋蔵されていてもまず中東の石油を使ってその後自国のシェールオイルを使う”と言っていたことを覚えている。
筆者が搭乗した小型飛行機の写真は下。
レドモンド
次のテーマはパソコンつまりWindows OS上でデジタルテレビのオーディオビデオを再生することだった。時代背景ではデジタルテレビに加えて1994年のW3C(World Wide Web Consortium)設立後WWW関連規格はWeb標準として爆発的に普及しウェブ中心の世界に移行していくことが予想された。
インタネット応用、著作権管理(DRM: Digital Rights Management)等はホットな話題となった。高画質、データ放送、コンピュータグラフィックス等様々な要求に応じて日本と米マイクロソフトを往復することとなった。PC、テレビ、インタネットが融合していくICT(Information and Communication Technology)時代の先駆けとしてキーノートスピーチにも使用され注目を浴びた。1999年1月のCESでは、政府要人がブースを訪問したと米紙が報じた(写真略)。
米マイクロソフトのキャンパスは米国ワシントン州シアトル近郊のレドモンドにある(下の写真は1997年秋に撮影)。他に、コンピュータ関連会社のあるオレゴン州ヒルズボロ、シリコンバレー、ヒューストン、スーシティ、ロックヴィル、カナダ/トロント等を訪問した。また、2016年までIDF(Intel Developer Forum)も開催されていた(場所は異なる)。
スーシティ
この頃訪問したスーシティは米アイオワ州の都市で、文字通りスー族の街という意味。アイオワの奇跡ともいわれている1989年のユナイテッド航空232便のスー・ゲートウエイ空港不時着事故(全油圧システム喪失ながら185名生還)でも知られている。下の写真は1997年に訪問したスー・ゲートウエイ空港。
下の写真の左手に見えるのはチーフ・ウォー・イーグル(スー族の酋長の名前)のモニュメント。
スーシティ博物館(Sioux City Public Museum)は1893に建立されたPeirce Mansion で、1978年に アメリカ合衆国国家歴史登録財(NRHP: the National Register of Historic Places)に登録された。スーシティ博物館は2011年に新しい建物に移された。
ロスアンジェルス
1999年4月7-9日にWinHECが、ロスアンジェルスのコンベンションセンター(Los Angeles Convention Center)で開催され筆者の開発品がWinHECで展示されその説明員として参加した。下の写真はその時に撮影したLA Convention Centerの外観。
1999年6月にIEEE(Institute of Electrical and Electronics Engineers)のICCE(International Conferene on Consumer Electronics)でICT関連発表を行った。下の写真はそのときに撮影した会場のロスアンジェルス空港傍のマリオットホテル(筆者撮影)。
ニューオーリンズ
WinHECは、2000年にはニューオーリンズのモリアルコンベンションセンターで開催され、ここでも筆者の開発品がWinHECで展示されその説明員として筆者が参加した。宿泊ホテルの近くでニューオーリンズジャズフェスティバルが開催されており、次の写真はそのときの様子。
下の写真は、WinHEC最終日(2000年4月27日)終了後に、Cajun Queen号に乗船した時に撮影。右手にミシシッピ川が見える。
会場付近の地図。
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シドニー
2001年7月以降、筆者は、ISO(International Organization for Standardization: 国際標準化機構)/IEC(International Electrotechnical Commission) 傘下の標準の一つであるMPEG(Moving Picture Experts Group)会合に参加することになった。丁度この7月会合において、ビデオ圧縮符号化方式としてITU-TがMPEG-2よりも圧縮効率の優れたH264を提案し議論が開始されることとなった。
国際会議においては、通常、Social Eventが開かれる。会議中は録音録画不可の場合でもSocial Eventは交流の場として写真撮影が可能となっている。
2001年のシドニーで市街地を走っていたモノレールの写真(2013年に廃止)。次の写真は2001年7月に筆者が撮影した。
フェアファックス(Fairfax)
2002年5月にFairfax Hyattホテルで国際会議が開催されたので参加した(下の写真)。近年データセンターの集積地となっているアッシュバーン(Ashburn)はフェアファックスの北西に位置する。
The Pentagon
2002年5月11日(9.11テロの8ヶ月後)にフェアファックスのホテルから空港に行く途中でペンタゴン(The Pentagon)の傍を通りかかったときに撮影した修復中のペンタゴンの建物。
クラーゲンフルト
2002年7月にクラーゲンフルト大学で国際会議(第61回MPEG)が開催された(下の写真)。
クラーゲンフルト(Klagenfurt)はヴェルター湖(Worthersee)の東岸に位置するオーストリア第6位となる約10万人(2016年)の人口を擁するケルンテン州の州都。1863年、クラーゲンフルトを通る鉄道が開通し、1925年にはオーストリア初の航空線が開通した。 夏場には観光客も多い。クラーゲンフルトのシンボルば"Lindwurm" (リントヴルム)であるが、ここでは、ヴェルター湖を紹介する。クルーズ船で一周することができ、その眺めは素晴らしい。下の写真は2002年に撮影したものでクルーズ船がReifnitzに停船するところ。
クラーゲンフルト中央駅(Klagenfurt Hauptbahnhof)の風景。
ハワイ・オアフ島
戦艦ミズーリはアメリカ最後の戦艦で湾岸戦争後退役して2002年時点でオアフ島に係留されている。下の写真は2002年8月11日撮影(主砲下に筆者)。また、他に潜水艦のUSS Bouwfin(ボーフィン)も係留されている。こちらは内部も見学できる。
RadioShack(ラジオシャック)
2002年8月10日にハワイ・オアフ島のAla Moana Center(アラモアナセンター)を歩いていたら日本人にもなじみのあるブランドであるRadioShackを見つけたので立ち寄ったときの写真。
USS Bowfin(ボウフィン)
2002年8月11日に潜水艦USS Bowfinを見学したときその内部にあったSounding Indicator。丸いインジケータの中にDepth in Fathomsと書かれている。Fathomsは水深の単位として使用された単位で6フィート。また、USS Bowfinは1944年に対馬丸を撃沈させた潜水艦として知られている。
ハワイ・ハレアカラ山
ハレアカラ国立公園内のハレアカラ火山はハワイのマウイ島最高峰の火山で、ハレアカラ・クレーター(下の写真)が有名(直径約11km、幅約3km、深さ約800m)。日の出の時間帯が観光に適している。
ハレアカラ山頂は世界有数の観測場所で米軍や大学などの天文台群がある。下の写真は天文台群で、左端の分岐道路の先にはDKIST太陽望遠鏡(Daniel K. Inouye Solar Telescope)が2018年頃建設されている(下の写真は2002年に撮影しており何も写っていない)。
サニーベール
アメリカ合衆国 カリフォルニア州 の シリコンバレー (サンタクララ郡)にあるサニーベールで国際標準化会合が2002年9月に開催された(ホストはフィリップス)。下の写真は筆者が発表している様子。
ICT関連の必須要素の1つである著作権管理(DRM: Digital Rights Management)関連特許を多数保有していた会社であるIntertrust Terchnologies(当時サニーベール)を2002年9月27日に国際会議の合間に訪問してCEOらと話をした。その直後の2002年11月13日にIntertrustは、ソニーとフィリップスにFidelio Acquisition Companyを通じて買収された。下の写真は2002年9月27日に撮影。当時、Intertrustは経営不振に陥っており下の写真の建物の中は閑散としていた。
シドニー
2002年11月に国際標準化活動に参画するためにシドニーを訪問。中央に見える有名なオペラハウスは1973年に竣工した世界で最も建造年代が新しい世界遺産。ANAホテル(当時)からハーバー全体を撮影した写真を下に示す。
Kurrajong Museum
シドニーには日曜日午前中に到着したので同日シドニー郊外RichmondのKurrajong Museum(受信機博物館)を訪問。オープン前だったが、Collins R-391A、RCA AR-88、米National HRO、Hallicrafters SX-28はじめ多数の受信機が雑然とおいてあった。日本軍が使用していた地一受信機もあった(下の写真)。この受信機は上記米NationalのHROを模した受信機で右下に地一の文字やプラグインコイル(820 KC/S-1500KC/S)が見える。
Tandy Electronics
ANAホテル近くにTandy ElectronicsとDick Smith Electronicsがあったので立ち寄った。後に両店舗ともに閉店されインタネット通販に移行していく。下の写真はTandy Electronics(マウスホヴァーで筆者撮影のDick Smith Electronics)。
トロンハイム
トロンハイム(Trondheim)は、ノルウェー第3の都市でノルウェー王国最初の首都。オーラヴ2世(オーラヴ・ハラールソン、Olav Haraldsson)を祭るニーダロス大聖堂へは中世から巡礼が盛んに行われた。この歴史ある都市で2003年7月に国際会議が開催された。この町の最も重要なイベントとして、夏至の前後に聖オーラヴ祭(olavsfestdagene)が一週間ほど行われる。ニーダロス大聖堂(Nidarosdomen)は1152年に設立されたノルウェー大司教座の大聖堂(下の写真)。 2003年に撮影。
ラヴンクロア(Ravnkloa)からの定期便(5月~9月)で約10分のところにムンク島(Munkholmen)がある。修道士の小島を意味する小さな島は、かつて修道院、要塞、刑務所等として使用されてきたが現在は観光地となっている。下の写真のようにビーチがある(2003年7月筆者撮影)。
下の地図にニーダロス大聖堂とラヴンクロアを示す。
レンヌ
2003年9月にフランスのレンヌ(Rennes)のフランステレコム(France Telecom)で国際会議が開催されたので参加した(France Telecomは2013年に社名をOrange S.A.に変更している)。下の写真はフランステレコムの入口。
次の写真は1670年に建立された聖ジョージ宮殿。庭園が綺麗に整備されている。
レンヌ駅に停車しているTGV。反対側の駅舎にRennesと表示されている。
サンマロ(Saint-Malo)
サンマロはレンヌのやや北に位置する。レンヌのフランステレコムで開催された国際会議のSocial Eventとしてサンマロ〜ディナンのディナークルーズが催された。そのディナークルーズの航路は下図。
食事はシーフードてんこ盛り。
アムステルダム
2003年9月にオランダ/オランダ アムステルダムのRAI(Rijwiel en Automobiel Industrie)コンベンションセンターで開催されたIBC (International Broadcasting Convention)に参加した。IBCとはオランダのアムステルダムで開催されるヨーロッパ最大の放送・映像業界のイベント。 下の写真は、訪問したときに撮影した写真で奥に会場のRAIコンベンションセンターが見える。
アイントホーフェン(EindHoven)ハイテクキャンパス
2003年9月にアイントホーフェンのハイテクキャンパス内で国際会議のアドホック会合が開催されたので参加した。このハイテクキャンパス内にはその後ASML、NXP他多くの企業が拠点を構え世界的にも注目されるキャンパスとなった。下の写真はフィリップス(2003年9月当時)。
下の写真は同キャンパス内に建築中の建物。
下の写真はアイントホーフェン空港(2003年9月当時)。
ジュネーブ(ITU Telecom World 2003)
2003年10月12~18日にスイスのジュネーブで開催されたITU Telecom World 2003にパネリストとして参加した。ITU Telecom Worldは、ITU活動の一環としてソリューション展示と知識を共有することによってICTイノベーションを推進することを目的としている。詳細はココ。
インスブルック
オーストリアの世界遺産のウィーン旧市街、シェーンブルン宮殿、ヴァッハウ渓谷、ザルツブルクの旧市街、ザルツカンマーグートを訪問したことがあるが、ここでは1964年と1976年の2回オリンピックが開催されたインスブルック(世界遺産ではない)を紹介しよう。2004年に訪問したインスブルックヒルトン(当時)から北のチロル地方をのぞむ景色がよかったので写真を下に示す。Große Solstein (グローサーソルスタイン)、Mountains Brandjochspitze (ブラントヨッホシュピッツェ)、Gleirschspitze(グライアーシュシュピッツェ)等の2,500m級の山々が連なっている。
シリコンバレー
2004年8月に米国西海岸のシリコンバレーにあるマイクロソフトキャンパスで国際会議が開催された。下の写真は2004年当時のマイクロソフトシリコンバレーキャンパス(筆者撮影)。
下の写真は東側にあるNASA Ames Research Center(筆者撮影)。
マヨルカ島
カタルーニャ語あるいはスペイン語でMallorca(マヨルカ)、英語でMajorca(マジョルカ)と呼ぶ島は、地中海西部のバレアレス海に浮かぶ島。1983年にスペインの自治州としてバレアレス諸島州が成立すると、マヨルカ島のパルマ・デ・マヨルカが州都となった。ここで国際会議(MPEG)が2004年10月に開催された。下の写真は島の北西部に位置するバルデモサで、2011年に世界文化遺産として登録されたトラムンタナ山脈に囲まれている。 2004年10月に撮影。
下の写真はパルマ港(Port de Palma)。下の写真は2004年10月に宿泊ホテルから撮影。
下の写真はベルベル城(Castell de Bellver)。ベルベル城はパルマデマヨルカの西3kmの丘に14世紀に建立された円形城。ここでSocial Eventが開かれた。
ベルベル城内部の様子(筆者撮影)。
香港
2005年に香港科技大学(HKUST: The Hong Kong University of Science and Technology)で開催された国際会議(第71回MPEG)に参加。香港科技大学は、2019年の香港民主化運動の中心大学の1つと報道されている。下の写真は香港科技大学正面入り口で特徴的なモニュメントが立っている(2005年1月に撮影)。また多くの観光客が行くヴィクトリアピークも訪問した(写真略)。
ポズナン
ポズナンはポーランド王国(966年当時はポーランド公国で、ポーランドが王国になったのは1025年)の最初の首都。ポーランド出身の著名人には、ヴェルナー・フォン・ブラウン(人類初の月面着陸を達成したサターンVロケットの開発を主導したロケット工学者)がいる。第73回MPEG会合がポズナンコングレスセンターで開催された(下の写真)。
観光地としては、ポズナン旧市庁舎、カテドラル(ポズナン大聖堂)やロガリン宮殿などがあるが、ここではあまり一般に紹介されていない自動車博物館(Muzeum Motoryzacji)を紹介しよう(2005年に訪問)。この自動車博物館(Muzeum Motoryzacji)はポズナンコングレスセンターの近くにありデトロイトのフォード博物館に比べるとはるかにこじんまりした博物館であるが、レアな車も展示されている。下の写真の中央の黄色の車は、当館で最も古いREOで1909年頃(フォードのモデルTと同時代)。
モナコ
2005年10月に国際会議(第74回MPEG)がフランスのニースで開催された。下の写真は会議場のアクロポリス。
ニースから少し足を延ばせばモナコに行くことができる。下の写真は2005年10月にモナコの旧市街があるヴィル地区の丘の上にあるモナコ大公宮殿前から撮影。昼頃には、宮殿前で衛兵が交替する。
コッツウォルズ地方
コッツウォルズ地方は、イングランド南西部に位置しており、アガサクリシティの小説、名探偵ポアロやミスマープルのロケ地として知られている。下の写真は2006年に訪問したバイブリー地区。
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中国では、1980年代の鄧小平主席の改革開放政策以降技術開発も急速に進み国際的な交流も進んだ。筆者と中国との関わりは米国に次いで長く1984年に中国科学院の3名を案内したことに始まる。中国は急速に発展すると実感したことが最大の収穫だった。そしてそれは2001年に中国がWTOに加盟した後現実のものとなった。次の写真は1984年科学院から寄贈された冊子の表紙で中国科学院声楽研究所と書いてある。
2000年以降国際的な標準化、中国国内での標準化に向けて様々な取り組みが行われてきた。この場合、中国以外の日欧米からも多数の組織、関係者が参加した。
2003年当時の信息产业部(情報産業部、Ministry of Information and Industry、後の工业和信息化部)が発行していた信息技术与标准化(信息技術と標準化、Information Technology & Standardization)を下に示す(表紙のみ)。
オーディオ・ビデオ符号化
AV符号化フォーラム(北京市)
工业和信息化部(工業情報化部 、Ministry of Industry and Information Technology)指導の下で中国科学院は2002年に始まったオーディオ・ビデオの符号化に関する標準化を主導した。それらの中で2003年12月20日には北京市の長城飯店でISO関係者を招いてAV符号化に関するフォーラムを紹介する。下の写真は、フォーラムの風景で奥のステージで中国科学院とISO(国際標準化機構)の関係者が対談している(2003年12月20日、筆者撮影)。
中国科学院(北京市)
工业和信息化部(工業情報化部 )指導の下で中国科学院は2002年に始まったオーディオ・ビデオの符号化に関する標準化AVS(Audio Video Coding Standard Working Group)(数字音视频编解码技术标准工作组)を当初主導した。このときの活動内容を見て中国は遠からず特許大国になると予感した。会合は北京市と北京市以外の都市において交互に開催されたが、北京市で開催される場合、当初中国科学院研究生院で開催された。次の写真は中国科学院研究生院で2003年に撮影。AVSはその後も会合を重ね、順次中国の国家標準(GB/T)、業界標準(GY/T)として発布されており、2019年3月には第70回会合が海口で開催されている。
蘇州市
第10回会合は、蘇州市の蘇州中心大酒店で2004年9月に開催された(下の写真)。近くに人民大会堂がある。
蘇州市は古さと新しさを備えており、下の写真は近くの国際科技園を訪問したときの様子で電子表示板に熱烈歓迎AVS工作組第十次会议(AVSワーキンググループ第十回会議)と表示されている。
展示されていた蘇州工業園区の(Suzhou Industrial Park, SIP)の模型。
蘇州市は庭園でも知られており、下の写真は蘇州最大の庭園で世界遺産の拙政園。
成都市
第12回会合は2005年3月に成都市で開催された。成都市には著名な成都大熊猫繁殖研究基地(Chengdu Research Base of Giant Panda Breeding)がある。四川ジャイアントパンダ保護区群は世界自然遺産として登録されている。広大な敷地の中でジャイアントパンダが多数飼育されていた。下の写真は2005年3月の会合終了後に撮影。
都江堰
都江堰は、紀元前3世紀、岷江(長江の支流)に建設された水利灌漑施設で現在も機能しており、青城山と都江堰水利(灌漑)施設として2000年に世界文化遺産に登録された。場所は成都から日帰りで行ける距離にある。下の写真は、2005年訪問時に撮影した。都江堰の構造は、写真のように、中央の中州が人工の堤防で、先端部の魚嘴(ぎょし)という調節堤で内江と外江に分け,外江は岷江本流として水量を調節し内江は流路を分流,成都平原では多数の用水路がつくられている。
北京
第16回会合は、国防七校の1つとして知られている北京航空航天大学で開催された。下の写真はPlenary Meeting(全体会合)が開催された北京航空航天大学如心会議中心。
著作権管理(DRM)
2004年、中央电视台(中央電視台、CCTV)/ 国家广播电视总局(広電総局/ 清华大学(精華大学)が著作権管理関連の中国標準化として中国广播影视数字版权管理论坛(ChinaDRM、中国放送映画テレビディジタル著作権管理フォーラム)をスタートした。2004年11月22日に開催された第1回会合は北京の長峰暇日酒店(Holiday Inn)で開催され、CCTV、広電総局、清華大学が参加するとともに多くの日欧米の企業が参加した。下の写真は会合が開催されたホテル。順次業界標準(GY/T)として発布されている。2019年にはChinaDRM主席が15周年スピーチを行っている。
ドキュメントは中英表記(中文が優先)、議事は中国語で進行された。
当日配布された现代电子技术(現代電子技術、Advanced Television Engineering)を下に示す(表紙のみ)。国家广播电视总局主管で、中央电视台副台长他が執筆している。
会合は、北京市と北京市以外の都市で交互に開催された。北京市の場合、清华大学(精華大学)のFIT(Future Internet Technology)ビルで開催されることが多かった。次の写真は、清华大学(精華大学)のFITビルで2004年に撮影。
万里の長城
最もよく知られている世界遺産の1つである万里の長城。下の写真は2004年11月に登った八達嶺長城で入口からロープウエイを使わず最高点の城楼まで徒歩で登ると運動に丁度よい。
北京での反日デモ隊
丁度この時期に小泉政権に対する反日デモが勃発した。帰国日当日朝にホテルのフロントから部屋に電話がかかってきてデモがあるから早く空港に行くようにという指示だった。急いでフロントに行くと、フロントの女性が”Hurry, hurry!"と、日本人に対しては英語で話しかけてくれる。なるほど、空港に向かうタクシーの中からデモ隊が見えた。
海南島
第7回会合は中国海南島の三亚市の山海天大酒店で開催された(下の写真)。垂れ幕に”中国广播影视数字版权管理论坛第七次会议(中国放送映画テレビディジタル著作権管理フォーラム第七回会議)と書かれている。
海南島では原住民である黎族の伝統工芸が無形文化遺産に登録されているが、山海天大酒店からの眺めがよかった(下の写真)。他の訪問地は、会合の開催に合わせて、北京、上海、青島、広州、海南島、西湖、桂林、黄果樹、銀川、昆明等。
杭州
2006年10月の杭州(Hangzhou)での会合の後、立ち寄った西湖(筆者撮影)。
北京
2007年5月23日に中央電視台(CCTV: China Central Television)のメディアセンター(下の写真)で執行委員会(Executive Council)が開催されたので筆者は参加した。
桂林
2007年6月に桂林(世界遺産)を訪問。ここでは、会議全日程終了後に行った漓江ナイトクルーズがよかったので紹介する。桂林両江四湖を一周する。水門では、水位調節を行う。下の写真の右手の塔は七重楼閣。
上海
2007年7月の上海会合が終わった後、上海科技館を訪問したときに撮影した写真を下に示す。2001年にAPECが開催されその時に各国首脳が記念写真を撮影したのは球形の正面入り口付近で、小泉元首相が江沢民主席と会談したのも上海科技館。
北京オペラ
2007年9月の会議に参加したときに宿泊した北京新世紀日航飯店(当時)で(米国人)ツアー宿泊客向けにホテルの広いロビーで北京オペラを上演していた。北京オペラは京劇ともいわれ無形文化遺産に登録されている。ロビーで出演者のメイクの様子を公開していた(下の写真)。背景の付け髭をつけた男性の絵は老生と呼ばれ、生、旦、浄、丑の4つの役柄の一つ。
中央電視台新ビル(北京市)
同じく2007年9月時点で、中央電視台(CCTV)は新本部ビルを朝陽区東三環中路32号に建設中だった(次の写真は筆者撮影)。1年後の2008年には新本部ビルが完成している。
次の写真は、ほぼ完成したCCTVの新本部ビルで2008年11月に筆者撮影。
国家広電総局での講演
筆者は、2008年3月に北京市にある国家広播電影電視総局(SARFT:State Administration of Radio, Film and Television, 住所: 北京市復興門外大街2号)に招待され科技司長による紹介を受けた後に講演を行った。 国家広播電影電視総局 は組織の改変を経て2020年時点では国家広電総局(NRTA: National Radio and Television Administration)と呼ばれている(住所は同じ)。下の写真は講演後に国家広播電影電視総局の正面から撮影したもの。
黄果樹瀑布
黄果樹瀑布は、貴州省にありアジア最大級の滝と言われている。2007年12月に訪問したときの写真を示す。
鳥の巣(北京オリンピック会場)
2008年10月16日に鳥の巣(北京夏季オリンピック及び冬季オリンピック会場)を訪問した。内部に有料で入ることができた。下の写真は内部の様子で欧米を含めて観光客が多数入場している。また、アスリートの人形も展示してある。
銀川市
銀川市は内モンゴル自治区に隣接する都市で、西夏王陵は銀川市の西方に位置する。西夏(1038年 - 1227年)は、タングートの首長李元昊が現在の中国西北部(甘粛省・寧夏回族自治区)に建国した王朝。首都は興慶(現在の銀川)。モンゴル帝国のチンギス・カンによって1227年に滅ぼされた。 井上靖の映画”敦煌”で知られている。また近隣には、賀欄山岩画、沙湖等他に見どころもある。下の写真は西夏王陵で2008年9月に撮影。
当時、中国共産党幹部用と噂されていた銀川市のホテル(宿泊していたホテルから撮影)。
賀蘭山岩画は銀川市北西の賀欄県にある岩画で紀元前~西夏時代に亘る長期間に描かれた人物、動物や文字が描かれている。
下の地図で銀川市の各地域の位置関係がわかる。
麗江市
第24回会合は、麗江市で解された。下の写真は会場の麗江国際大酒店。
麗江古城はかつて少数民族のナシ族の王都。いくつかの変遷を経て中華民国が成立すると麗江県が設置され、1949年7月には人民解放軍の進出によって麗江県人民政府が成立、1961年4月には麗江ナシ族自治県となった。麗江古城の旧市街は世界文化遺産として登録されている。下の写真は2009年3月に撮影したもので、左手に世界文化遺産、麗江古城、江澤民と書かれている。また、右手上には世界文化遺産の丸いプレートが見える。
印象麗江
北京オリンピック開会式総指揮の張芸謀氏がプロデュースしたショウで2009年3月4日に見学。旅行ガイドに掲載されている踊り以外にも下の写真のように狭い斜面の道を騎馬が駆け上がるシーンもある(マウスホヴァーで当日筆者撮影の踊りのシーン)。
玉龍雪山
玉龍雪山はその山麓全体が玉龍雪山国家重点風景名勝区となっている。また、拉市海高原湿地も楽しめる。下の写真は2009年に撮影した玉龍雪山。
中国の放送機器展
中国の2大放送機器展はBIRTVとCCBN。いずれもアジア最大級。CCBNは、China Content Braodcast Networkの略で中国コンテンツ放送ネットワーク展。BIRTVは、Beijing International Radio, TV and Film Equipment Exhibitionの略で、北京国際ラジオテレビ映画機器展。次の写真は2008年11月5日に訪問したときのもの。
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ローマ
よく知られたローマであるがトムクルーズも宿泊したというホテルエデン(Hotel Eden)のレストランから世界文化遺産であるローマ歴史地区を眺望した景観は絶景で、朝食時に朝日が差し込む時間帯がベストショット。前遠方右手にはエマヌエーレ2世記念堂、左手にはクイリナーレ宮殿が見える。下の写真は2010年、朝食時。
下の写真はホテルエデンの朝食。
依水園
外国人に絶大な人気のある古都奈良の東大寺と興福寺の間にある名園で、紅葉の季節、正倉院展の頃に、好天なら非常に綺麗な写真を撮影することができる。下の写真は2017年11月10日に撮影。
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北米、米国
アンカレジ、シカゴ、デトロイト、ミネアポリス、ロチェスター、ロスアンジェルス、サンタモニカ、ビバリーヒルズ、オレンジカウンティ、ラスベガス、グランドキャニオン、フェニックス、サンフランシスコ、サンノゼ、サンタクララ、サニーベール、サンディエゴ、オークランド、シアトル、レドモンド、ベルビュー、ポートランド、スーシティ、ヴァージニア、ロックビル、ワシントンDC、ニューヨーク、シコーカス、ボストン、ニューオルリーンズ、ヒューストン、ホノルル、ワイコロア(以上米国)、トロント、ナイアガラ、バンクーバ(カナダ)、ティファナ(メキシコ)他
欧州
モナコ、ニース、レンヌ、サン・マロ、パリ(以上フランス)、ジュネーブ(スイス)、ミュンヘン、フランクフルト、ハイデルベルグ、ローテンブルグ、シュヴァンガウ、ベルリン(以上ドイツ)、インスブルック、クラーゲンフルト、ヴィラハ、ザルツブルグ、ウイーン(以上オーストリア)、ローマ、フィレンツェ(イタリア)、ヴァチカン、ロンドン、コッツウォルズ(英国)、ブラッセル(ベルギー)、アムステルダム、アイントホーヘン(以上オランダ)、ポズナン(ポーランド)、トロンハイム、オスロ(ノルウェー)、パルマデマヨルカ、バルデモサ、(スペイン)他
アジア、オセアニア
北京、上海、麗江、香港、蘇州、成都、都江堰、桂林、杭州、青島、海南、貴陽、銀川(以上中国)、バンコク、パタヤ(以上タイ)、ソウル、チェジュ、ブサン(以上韓国)、シドニー、ブリベーン、メルボルン、ケアンズ、アデレード(以上オーストラリア)、グアム、シンガポール他